地図 その8
人が成長しようと思う時
または無意識でも
前を向きたいとき 自分で考えます。
☆ 何が問題なのか
☆ 何が違うのか
☆ 何をしたいのか
☆ どうありたいのか
☆ 目標はどこか
☆ 照準は定まっているか
これらはすべて自分で考えて
自分で回答をしないと
なかなか納得できません。
ですがこれらを
何でも聞いてしまう・・・・
癖を持つ人がいるのも事実です。
私の友人がこう言いました^^
「精神世界という世界や
スピリチュアルと
言うのが詳細にどういうものかを
説明しろと言われたら
私にはわからないけど
数学いわゆる理数にはならないよね。
どちらかと言えば 国語、文系だよね。
玲子と話していると
答えがひとつじゃなくて
誰が話していても
そうだね って 回答になっているんだけど
10個答えがあっても正解。
ニュアンスが違っていても
向いている方向性が一緒って事よね」 と。
その言っている彼女は
文系ではありません(^^;;;
どちらかと言えば理数系。
これはわかりやすく
説明してくれた例で
私の周りにたまたま
言われた言葉や言われた事をするけれど
それ以外のことは 考えないで
何でも聞くと言う癖の人がいた為に
彼女がそれを分析して出した答えです。
何でも聞くと言う事は まさに一問一答。
その答えに合わない場合は
「えっ。ですが以前にこう言われていました」
とテキスト回答のような形になります。
応用や機微がわからないので
このような回答になってしまうと感じます。
この心の世界は
必ず決まった公式も無ければ
必ず決まった答えもありません。
答えは自分の中にあるものなので
その答えは自分で考えて
自ら導き出さないとなりません。
理数、公式であれば
テキストを作り きっと発行します^^
ですがそうではないので
会話の中やコミュニケーションの中で
それを知り
それを感じていくのだと思います。
私がブログを見ている方から
多々感想を頂くときに
素晴らしいと 感じるのは
ブログを見て考えて
それを自分だったらと
じっくり推考して
メッセージを下さる事です。
初めてメールを下さる方でも
これを私はこのように感じました。
私はこのように受け取りました。
と、素晴らしいと思える数々があります。
だからきっと書き続けたいと
私は思わせて頂いているのです。
気づくと言うのは
そんなに簡単でもありません。
昨日、おととい聞いた話を
「はい、はい」 とわかった風に聞いて
理解できれば何も苦労しません(^^;
ですが人が学ぶのは
自らの為でもありまた自らの為と
思いながらもそれは人の為でもあります。
自らが智慧を得ると言う事は そ
れは人をも生かす事が
できるかも知れないのです。
何でもかんでも
聞いて済ませる人は好みません。
大概、その後同じことを繰り返します。
そして何が悪かったのでしょうか?
と聞いてしまうのです。
自らが反省する事もなく
考える前に聞いてしまうのです(^^;
これは聞かれた私も同じことを
言わなければならないので少し辛いです。
聞いて受け止めて
理解して納得する。
聞いてわからなくて
それでも理解したふりをして
言ってみる
この2つはまったく違います。
自分で考える力と思考は
自らで生み出さなくてはなりません。
☆言うだけの人は
結果が生まれません。
☆理解したふりの人は
言葉の重みがありません。
☆口だけ立派な人は
行動が伴いません。
☆同情を引こうとすれば
そこからほころびが出ます。
☆心から発している人は
なぜか開運していくのです
何でも聞かないでまずは1度
自分の中でよく考えて
順序を追えばわかるはずです。
何でも聞いてはなりません。
出来る所まで頑張るのです。